お寺について

高野寺のお稚児祭りで、多くの人が集まっている境内の様子
高野寺のお稚児祭りで人が集まっている境内

高野寺について

この高野寺界隈は、昔で言う本町七丁目にあたり、
昔から「七丁目のお大師さん」とよばれ、
古来より弘法大師のご遺徳を追慕する信徒の拠り所として、
親しまれてきました。

バスも車もない時代、高野山へ参詣することは大変困難でした。
そこで当寺の弘法大師へお参りされたわけでございます。

今でも弘法大師の御縁日である、毎月の二十一日になると、
厄除弘法大師様へ昼夜問わず大勢の方がお参りに来られます。

この高野寺界隈は、昔で言う本町七丁目にあたり、
昔から「七丁目のお大師さん」とよばれ、
古来より弘法大師のご遺徳を追慕する信徒の拠り所として、親しまれてきました。

バスも車もない時代、高野山へ参詣することは
大変困難でした。
そこで当寺の弘法大師へお参りされたわけでございます。

今でも弘法大師の御縁日である、
毎月の二十一日になると、
厄除弘法大師様へ昼夜問わず
大勢の方がお参りに来られます。

高野寺の本堂と境内

歴史

五重塔

当山は慶長年間、興山寺勢誉法印の開基にして初代紀州藩主 浅野幸長公の命により保田の荘梁瀬の里より移す。

高野山行人方と紀州藩との国交拠点になった寺院で高野山輪番所として紀伊国名所図会に伝わる。

本尊の厄除弘法大師は、大師四十二歳の御時に自ら彫った像とされる、不蒔菜(まかずな)の大師と呼ばれ、大変な飢饉の時に、この像に手を合わせると菜っ葉が生え大師尊像の霊験尊徳により、民衆が救われたという。

先の空襲の戦火にも難を逃れ、益々この大師の霊験を頼りに大勢の参拝者が訪れます。

(ご詠歌)
もろもろの
くをぬきたまう
やくよけの
たいしにすがる
みこそやすけれ

住職

平成20年 高野山大学 卒業

平成21年 高野山専修学院 卒業

平成23年和歌山刑務所 教誨師

平成30年10月高野寺 第26世住職晋山

平成27年 真言宗利益院 兼務住職任命 

令和6年 岡山真光院 兼務住職任命 

皆様、こんにちは。高野寺の住職、阪口隆祥でございます。

皆様、こんにちは。
高野寺の住職、阪口隆祥でございます。

当寺は、古来より真言密教の教えを受け継ぎ、お大師さまの教えを通じ「7丁目のおだいしさん」として地域の皆様に親しまれてきました。

私は、令和元年に住職として就任し、日々の法務とともに、地域社会への貢献を目指して活動しております。

高野寺の伝統を尊重しながら現代の皆さまに仏教の教えを伝えるため、様々な行事を行っております。

お大師さまの教えが皆様方の生活において少しでも役立つことを願い、一人ひとりの心の安らぎをお手伝いできればと考えております。

当寺にお参りしていただきまして心のゆとりをもっていただければ幸いです。

ご住職

ギャラリー

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